目次
全体のあらすじ
平凡な高校生である泉新一は、ある日突然飛来してきた「パラサイト」の襲撃を受ける。間一髪で脳への寄生は免れるが、パラサイトは新一の右腕に寄生、同化してしまう。右手にちなんで「ミギー」と自ら名乗るパラサイトと人間の奇妙な共生生活が始まることに―。周囲に真実を話すことができず悩んでいた新一だが、やがて新一とミギーは友情に近いものを感じるようになっていく。
しかし、新一とミギーの前には他のパラサイトが現れ始め、次々に人を殺し、また人がパラサイトを殺す事態に発展。新一の同級生・里美にも危険が迫る。その中で、高校教師として目の前に現れた田宮良子らパラサイトたちにもそれぞれの価値観が生まれ始める。 「われわれはなぜ生まれてきたのか?」
地球を壊し続ける人間たちを淘汰するために生まれてきたというパラサイトたち。そのパラサイトを殺し、生き延びようとする人間たち。「果たして生き残るべきはどちらなのか?」それでも、地球を、そして愛する人を守らなければいけない。ゆらぐ価値観の中で、新一とミギーはパラサイトとの戦いに身を投じていく。
今回のあらすじ
待ち合わせに指定された公園に着くと、そこには赤ちゃんを抱いた田村がいた。人間にとって我々は・・・パラサイトは何なのか?我々にとって人間とはいったい何なのか。ただただ疑問に答えを求めてきた田村を前に、受け入れがたいその存在を前にして、新一は何を想うのか・・・。
原作漫画だと
- 第47話 「人の子の親」 途中から
- 第48話 「ただいま」
- 第49話 「お見合い実験」
サブタイトルの元ネタ
サブタイトルは書籍名から取っているのですが、今回はこちら。
原作漫画との違い
今回は、台詞の言い回しなどにほんの少し変更があったくらいで、原作漫画忠実で、全にくと言っていい程変更はありませんでした。まあ敢えて言うなら、何回か言っている季節がずっと冬って事だけです。
だいぶ手抜きが目立つように…
最近思っていたことなのですが、今回で確信しました。作画でだいぶ手を抜いています。少し遠目から見た人物、所謂引きの絵の時に、以前より明らかに人物の顔をデフォルメして描くようになっています。時間足りないのでしょうが、他にも同じようなスケジュールでやっているアニメもあるのに、この寄生獣のアニメはやたらその辺の手抜きが目立ちます。季節や時間の流れもおかしいですしね。
構成がおかしいような…
素人がこんなこと言うのもおこがましいのですが、アニメの話の区切り方はなんかおかしいと言うか勿体ないような気がしてなりません。今回で言うと、折角重要なキャラの田村玲子が死ぬエピソードだったのに、そのクライマックスをAパート、つまり1話の途中で終えていました。どうせならこれを物語の最後に持ってきて、特殊エンディングにするのが妥当だったんじゃないかなと思います。
もの凄く重要な話であることは、アニメ制作側もわかっているからこそ、途中でもエンディング曲を流す演出をしたんですよね。そこまでするなら、素直に田村玲子の死亡を話の終わりに持ってくれば良いのにと思わずにはいられません。時間経過やいつまでたっても季節が冬のことと言い、BGMの単調さ、軽さ、使う場所の不適当さと言い、区切りの悪い構成のことと言い、どうも適当に作ってる感が所々見えてしまいます。
田村玲子の自殺理由
田村玲子の自殺理由はファンの間でも分かれますし、実際田村玲子という登場人物が何を考えていたか明かされていないので、意見が分かれて良いと思うのですが、一応個人的解釈を書いておくと、田村玲子はパラサイトの自分がまともに赤ん坊を育てられないので、人間とパラサイトの中間に位置する新一に赤ん坊を預け、然るべき施設で真っ当な人間の子供として育てて貰おうと思ったのではないかなと思っています。人間独特の親子愛に目覚め、そして自己犠牲へと目覚めたパラサイトの進化じゃないでしょうか。
肉体的に完全に普通の人間の赤ん坊であるにも関わらず、パラサイトの子供と言うだけで、倉森探偵に誘拐され、武器に使われてしまったことからも、パラサイトの自分がまともに育てるのは無理だと悟ったんじゃないでしょうか。そういう意味で、田村玲子が赤ん坊の存在に戸惑いつつも、母性愛に目覚めていくこれまでの過程や描写が重要になってきているんだと思います。
また、赤ん坊を託す際に、田村玲子は新一の心を繋ぎ止め、逃げられないようにするため、新一の母親の顔に変形していましたが、ここで母親の顔に変形できたのは、この公園に来る前に新一の家に行き、アルバムを見ていたからですね。あれは今回のちょっとした伏線になっています。母性に目覚めつつある自分に戸惑い、新一と母親の関係を調べるとの理由もありましたし、あれは意味なく訪問したわけじゃないんですね。
パラサイトとして生きるか母親として死ぬか
また、もう少し突っ込んだ話をすると、田村玲子の今置かれている立場から考えるに、人間の赤ん坊を抱えたまま生きることは不可能だったと思われます。
今後の田村玲子が辿る道は、主に以下の3つかと思われます。
現状維持(パラサイトでありながら赤ん坊も育てる)
少なくとも自分が実験で作った後藤一味の一部からは、命を狙われるほどの敵対関係になってしまいました。田村玲子を殺す意見があの3人だけだったとしても、味方を殺された後藤一味は黙っているわけはなく、今後もパラサイトから命を狙われ続けるでしょう。この状況で赤ん坊を守り、そして育てながら逃亡生活を続けるのは困難だと思われます。
遠くに越したとしても、いつ命を狙われるのかわからない、いわばヤクザから命を狙われる逃亡者のような生活を送らねばなりません。なおかつ何も知らない無防備な自分の子供は、一生拉致される可能性が残ることになります。
赤ん坊を捨ててパラサイトとして生きる
赤ん坊のことを無視して、自分だけパラサイトとして生きるのは、既に母性に目覚めてしまい、母性とはなんぞやと追求し始めた田村玲子にとっては、到底選択できない事だと思います。
母性に目覚めたのなら、他人の手に渡して自分だけ生き延びるのは、自分が許せないという気持ちになるでしょうし、パラサイトとして母性についての研究を続けたい気持ちがあった場合でも、赤ん坊と離れては、母性とはなんぞやに答えが出ないので、これもまた赤ん坊を手放せない理由になるかと思います。
母親として赤ん坊を託し死ぬ
そして残るは母親として死ぬこと。パラサイトとして赤ん坊を守り、育てながら生きることは、上述したような理由で極めて困難になったことから、パラサイトとして生きるより、母親として死ぬことを選んだのではないかなと思います。
実際、田村玲子の置かれた現状を考えると、この赤ん坊がまともに人の子として育つには、他人の手に預けて育てて貰うしかないんです。田村玲子が赤ん坊を産み、母性に目覚め始めた時点で、この運命は決まっていたのかもしれません。また、世界中に数多くのパラサイトがいるので、もしかしたら田村玲子と同じように人間の赤ん坊を産み、母性に目覚めたパラサイトもいるのかも知れませんし、更に先のステージの育児にまで行っているパラサイトもいるかも知れませんね。
逃げられなかっただけ
実はもう一つ強い可能性として、単純に警察に包囲され逃げられなかっただけってのも考えられます。
アニメでは「警察が取り囲んでいる様子」の描写不足により、「逃げられない状況」には見えないのですが、原作漫画ではしっかりと公園を取り囲み、田村玲子を取り囲んでいます。
前回、後藤一味の3人と戦闘をしたとき、田村玲子はパラサイト部分を棒高跳びの棒よろしく変形させ、上空から包囲を突破して逃げましたが、今回それをやってしまうと、周り中にいる警官から発砲され、赤ん坊を守れない可能性が極めて高いんですよね。赤ん坊を銃弾から守るには、田村玲子が今回最後にやったように、赤ん坊の盾としてパラサイト部分を変形させるしかないんです。となると、包囲を突破して逃走するために棒高跳びの棒状になるか、赤ん坊を守るために逃走を諦め、パラサイト部分を赤ん坊の盾とするかの二択になってしまいます。
まあこのケースだとしても、結局「自分の命より赤ん坊を取った」のには変わりないので、母性に目覚めたパラサイト田村玲子の構図は変わらず、基本的に田村玲子が何を思ったのかは変わらないので、些細なことなのかも知れませんけどね。
結局このエピソードは、田村玲子は何を思って自殺を選んだのかはわかりません。
浦上登場
重要なキャラの田村玲子が今回死んだことにより、Bパートから新章突入しました。…区切り悪いですね。
原作漫画を読んでいたときも、田村玲子がラスボスだと思っていたので、こんなに早く退場するのにはビックリしました。加奈の件と言い、この寄生獣は重要なキャラが早い段階で死んじゃうんでよね。
ちなみにこの浦上は、アニメの第1話の最後に、殺人をしている真っ最中のシーンで登場しています。これはアニメオリジナルで原作漫画にはありませんでした。
そんなわけで新キャラの浦上の登場により、まらここから物語が違う方向に展開していきます。
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