目次
あらすじ
親友の科学者ドクの発明したタイムマシンで、タイムスリップしてしまった高校生のマーティ。そこで自分の両親になるはずのロレーンとジョージに出会う。だが、内気なジョージは彼女に告白できないまま、乱暴者のビフにこき使われる毎日。しかも、ロレーンがマーティに恋をしてしまい・・・。
一番好きな映画
映画は数多く観てきましたが、何が一番面白かったか、好きかと聞かれたら、即答でこのバック・トゥ・ザ・フューチャーと答えます。きちんとしたレビューを非常に今更なのですが書いておきます。
何が面白いのか?
エンターテインメント要素全部入り
まずこのバック・トゥ・ザ・フューチャーの何が凄いのかと一言で言うと、あらゆる娯楽の要素がこの映画一つに詰まっていると言う事です。
冒険、活劇、恋愛、友情、家族愛、感動。これら全てがこの二時間の映画に詰まっているんです。具体的に書くと、マーティのタイムトラベルを主題とした冒険。マーティやドクとの活劇(アクション)。マーティとロレインとの奇妙な恋愛。マーティとドクの年の離れた友情。マーティと両親の家族愛。そしてハッピーエンドへと収束していく感動。これら全てのエンターテインメント要素が、たった二時間弱のこの映画一本に全て詰まっているんです。
これは驚くべき事で、途中でだれてしまったり、余計な社会的メッセージや芸術性が入ってくる映画が多い中、このバック・トゥ・ザ・フューチャーは一切そんな事はなく、ただひたすら観客を楽しませることだけに特化した究極の娯楽映画なんです。
わくわくのタイムトラベル
タイムトラベルなんて物は、誰しも一度は空想したことのある夢のある話なので、この手の映画は基本的に受けが良いと思うのですが、そのタイムトラベル映画の中でも、娯楽に関する部分で見ると断トツで良くできています。如何に観客を楽しませるかだけに焦点を当てた映画なので、人間同士の絡みややり取りが非常に面白いだけではなく、タイムトラベル物の楽しみでもある、タイムパラドックスや伏線がふんだんに盛り込まれていて、あらゆる面で完成度が高い映画です。
奇抜なストーリー
タイムトラベル映画の話は古今東西数多くありますが、まず心を掴まれたのは、「両親の出会いを邪魔してしまい、自分が生まれなくなる」との奇抜なストーリーです。
死んでしまった恋人を救うためとか、不幸な今の人生を変えるためとか、そういったシリアスな理由のタイムトラベル映画が多い中、少しコメディチックなストーリーで、「なんだこれは」と食いついてしまいました。
自分の存在が消えかかる話も深刻ではあるのですが、覗きをやっていた父親だったり、息子の自分に恋してしまう母親だったりと、深刻さが前面に出ず、クスッと笑えるような肉付けがされているので、観ている観客側としても、実は深刻な事態だってのを忘れ、ただ楽しいワクワクした気持ちになってしまいました。
両親が同年代に
1985年の現在から、30年前の1955年にタイムトラベルしたことにより、当たり前ですが両親が若者で、自分と同じ年代になってしまいました。これも面白くて、今までは立場が完全に上だった両親が同年代になり、なおかつ気弱な父親に恋愛のアドバイスをすると言う、奇妙な光景が繰り広げられました。
また若い母親は息子の自分に妙な運命を感じてしまい、恋心を抱くのですが、これもいやらしくなく面白おかしく描かれていました。日本以上にそういったことに嫌悪感を示すキリスト教圏のアメリカですから、危険な部分もはらんでいたと思うのですが、全くその心配には及ばないストーリー運びでした。
結局このロレインのこの運命を感じた恋心は、息子に抱く愛情だったんです。時を超えて姿形を知らなくても、親子の絆ってあるんだよって話に綺麗に収束していました。
ママに歴史あり
最初にマーティのママは、マーティに「あの子(ジェニファー)は駄目よ!女の方から男を誘うなんて!私たちの頃はそんな事無かったのに!」とマーティを叱責していましたが…。そのママは1955年の若かりし頃実はかなり積極的な性格で…。言ってたあんたが若い頃全然違うじゃん!と突っ込んでしまいましたよ。
「親は偉そうな事言ってるけど、本当にそんなに立派だったのか?」ってのは、子供の頃みんな思うちょっとした反抗心ですが、これを見事笑いに変えていましたね。若い時なんてみんなそんなもんですよね。
ストーリーと直接関係ないのですが、こういう細かい話を散りばめているのが、この映画は物凄く上手いんです。
お約束の面白さ
これは第一作だけの話ではなく、シリーズを通してのことなのですが、お約束が面白いんです。
例えばマーティが車に轢かれるお約束だったり、ビフが肥料に埋もれるお約束だったり、元いた世界に戻ってきたと思ったら、異世界の母親に看病されていたり、スケボーでの追いかけっこだったり。これが全三作を通して無理なく上手いこと起こるので、良い意味で「またか!」って突っ込めて、そしてニヤッとしちゃうんです。
伏線や小ネタが一杯
ここに書き切れないくらいこのバック・トゥ・ザ・フューチャーには、伏線や小ネタ、背景に映り込む面白いアイテムが一杯あるんです。その中のいくつか面白い物を紹介しておきます。とは言っても、ジョーイおじさんの檻ネタだったり、会話の一つ二つからなる伏線や小ネタは、ここでは書き切れないくらい無数にあるので、ご自分で調べたり観て発見してみて下さい。こういう伏線や小ネタから色々想像するのも楽しみの一つです。
オープニングの時計とラストシーンの時計台
オープニングでドクの家に時計が一杯あり、そこにドクの人形がぶら下がっているのですが、これは勿論ラストシーンでドクが時計台で奮闘するシーンの伏線、お遊びです。これは最低二回見ないと分かりませんね。こういった二回見て初めて分かる伏線や小ネタも一杯です。
さてここでひとつのタイムパラドックスの難題が浮かび上がってきます。
このマーティが1955年へ行く前の1985年を「1985年(無印)」としましょう。そして最後にマーティが1955年から1985年に戻ってきた世界を「1985年α(アルファ)」とします。
この1985年(無印)のドクは、果たして1955年のマーティと出会っていたのでしょうか。もし出会っていないとすると、この時計にぶら下がるドクのオブジェはスタッフの遊び。もし出会っているとすれば、ドクは既にこの映画で描かれた1955年を全て体験済みですから、自分の過去のでき事を、思い出としてオブジェにしたのでしょう。
結論は…ドクはこの時点では1955年のでき事を知りません。その証拠に時計台の足場があります。この時点では時計台の足場は壊れていないのですが、1955年でマーティとドクが色々やった結果、ドクが足場を壊し、その後戻ってきた1985年αでは時計台の足場が壊れているんです。つまり1985年無印の時点では、1955年で「マーティを送り返したドク」はいないんです。この時マーティが1955年に行って、初めてマーティとドクは1955年で出会ったんですね。この辺はもう鶏が先か卵が先かの話になってしまうのですが、少なくともバック・トゥ・ザ・フューチャーのこの世界ではそういうことです。
考え方としては、1955年の過去へ行くとしても、それはある意味やはり「未来」だと思えばわかりやすいんじゃないでしょうか。いくら過去へ行ったとしても、マーティにとっては1秒後であり、1分後の未来なわけです。未来がどうなるかは常々その時の選択によって変化するので、「過去」とは言っても、マーティの時間軸で言えば「未来」なんです。なので、どんどん本来の意味での未来も変わっていっておかしくないんです。…とは言っても複雑ですね。勿論完全に矛盾がなくなるような話でもないので、ある程度自分で落としどころを見付けるのが吉かと。
タイムパラドックス論で良く議論になるのは、「そのでき事」、つまりマーティが過去に行くことが最初から歴史に組み込まれていたのかどうかなのですが、だとしたら、1985年(無印)でもαでもどちらにしろドクは、1955年のでき事を知っていたことになるんですよね。う~ん難しい。しかし仮にドクがこの先マーティが1955年へ行くことを知っていたとして、それを頭の隅に置きながらもう一度この映画を観ると、また違った見方ができて面白いですね。
金策でブラウン屋敷を売却
ドクはタイムマシン開発費用捻出のため、1955年当時住んでいた屋敷を売ってしまいました。オープニングにその新聞記事があります。ツインパインモールでマーティを呼び出してデロリアンの実験をしたときに、「あれから家も財産も注ぎ込んだ…」と言っています。ドクも色々苦労しているんですね。前段でも書きましたが、この覚悟って言うのは、やはり1955年にマーティと出会っていて、タイムマシンを作れる確信があったからなんでしょうか。
ちなみに上の画像の左が1955年にドクが住んでいた屋敷で、右が1985年のドクが住んでいた家です。1955年のドクの屋敷は家も広いのですが庭も広く、まさに屋敷なのですが、1985年のドクの家は倉庫ですね…。
ちなみにこのすぐ横にバーガーキングがあるのですが、ドクの家にバーガーキングの袋が散乱している画面があります。屋敷を売ったお金は研究費に注ぎ込んでいたので、ろくな食べ物食べてこなかったんでしょう。
ビデオテープ
のちに重要な役割になるビクターのビデオテープが、オープニングで新聞記事の下に置いてあります。
TWIN PINES MALLからLONE PINE MALLへ
ドクにタイムマシンの実験のため、TWIN PINES MALL(二本松ショッピングセンター)へ呼び出されたマーティ。1955年到着時に、デロリアンで二本の松の一本を折ってしまったため、その後の1985年では、LONE PINE MALL(一本松ショッピングセンター)へと呼び名が変わっています。細かい。こういうところでニヤッとしちゃうんです。
ドクの仕事
この手の映画に出てくる科学者って、何で生計を立てているんだろうってのが良く疑問に思いますが、ドクの場合24時間の科学サービスをしていたみたいです。科学サービスって何だろうと思いますが、結局やっていることは家電などの出張修理サービスじゃないかなと思います。
デロリアンが搭載されていた小型トラックに「ドクター.E.ブラウン・エンタープライズ 科学サービス 24時間営業」と書いてあります。24時間営業とは頑張りますねドク。
レッドー・トーマス元市長がホームレスに
19955年当時ヒル・バレーの市長だったレッド・トーマスはホームレスになっていました。マーティはこのホームレスのレッド・トーマスを見て懐かしい、戻ってきたんだと言っていましたから、マーティが改変したからこうなったわけではなく元々だったんですね。
1985年と1955年のギャップ
マーティは1985年から、両親が若かりし時代の1955年にタイムトラベルする訳ですが、この時代間のギャップも面白おかしく至る所に描かれています。
代表的なところを挙げると、1985年ではファッションになっているダウンジャケットが救命胴衣としか見られていなかったり、コーヒーショップでカロリーを控えた「タブ」が通じなかったり(タブは1955年当時領収書のこと)、ペプシフリーが砂糖抜きではなく無料だと思われたり、俳優のレーガンが将来大統領になっている事をジョークとして受け取られたり、枚挙にいとまがないくらいこう言った時代のギャップネタが出てきます。
おそらくこの辺はアメリカ人なら、私たち日本人が見るより共感できる部分があるんでしょうね。しかしアメリカ人ほどわからない私でもそのギャップがおかしいことが分かりました。
バック・トゥ・ザ・フューチャーの一つの特徴に、こう言った密度の濃さが挙げられます。伏線、小ネタ、ストーリーそのもの。全てが二時間弱の間に凝縮されていて、お腹いっぱい感が凄いんです。
キャラの作り込み
細かいことですが、バック・トゥ・ザ・フューチャーはキャラの作り込みも凄いんです。
例えばマーティの例で言うと寝相があります。ドクとの約束をすっぽかしそうになるときのマーティの寝相が苦しそうだったのですが、これが最後のマーティの寝相でも同じで、「ああマーティはこういう寝方する人なんだ」と、その人物を妙にリアルに、そして実際にいる人物のように感じてしまうんです。
またマーティの父親であるジョージの性格も一環していて、気弱でいじめられっ子で、一見して息子とマーティと共通点がないように見えるのですが、小説家志望なのに出版社に送るのが怖い、人に評価されて駄目と言われたら立ち直れないなんて思考回路は、似ても似つかないと思った息子のマーティとまるで同じなんです。こういう細かい人物の設定や描写でしっかりキャラを作り込んでいるので、これは映画なのにそれぞれのキャラや繋がりが本当のことのように思えるんです。
このようなことから、中学生の時に初めて見たときは、まるでそこに本当の世界があるように錯覚してしまい、画面に入り込んで夢中になって観てしまいました。
ドクのアクション
1955年のラストは、ドクが時計台で悪戦苦闘するアクションシーンがふんだんにあるのですがこれが凄い。
何が凄いのかと言うと、筋肉ムキムキでもなく、アクションをやるような風体でもない、そしてそもそもこのバック・トゥ・ザ・フューチャーはタイムトラベル映画でありアクション映画ではないのに、しっかりとクオリティの高いハラハラドキドキするアクションシーンに仕上がっていることなんです。例えるなら野球選手がサッカーをしたら、そっちもプロ以上に上手くてビックリと言う感じでしょうか。しかもトラブルが間髪入れず次々に襲ってきて、一個に対処しても次の問題が、その問題に対処してもまた次の問題が…と、怒濤の展開が短い間に次々襲ってくるんです。
本来、このバック・トゥ・ザ・フューチャーはアクション映画ではなく、あくまでタイムトラベル映画なのですが、この部分のアクションシーン、ハラハラドキドキ感は、スピードやダイ・ハードに匹敵するか、それ以上の物があります。スピルバーグ恐るべし。
本来続編はなかった
今改めて三部作を見ると、最初から三部作の構想だったように見事にストーリーが繋がり、そして綺麗に完結しているのですが、実は本来バック・トゥ・ザ・フューチャーに続編の構想はなく、この一作で完結する予定だったんです。
1987年にビデオソフト化して販売したときに、劇場公開時にははなかった「TO BE CONTINUED...(つづく)」とのテロップが入れられたのですが、これで続編があると勘違いした視聴者の問い合わせが殺到したため、急遽続編の制作が決まったんです。この「TO BE CONTINUED...(つづく)」は、よくジャンプ漫画でも最終回にある「俺たちの冒険はこれからも続く!」的な物だったんですけどね。それだけ視聴者が続編を観たかったってことなんでしょう。
オーソドックスなタイムトラベル映画
このバック・トゥ・ザ・フューチャーは、世界的に大ヒットしたのですが、実はオーソドックスなタイムトラベル映画としての完成度も非常に高いんです。このあと続くPART2やPART3は、タイムトラベルの主題から少し変わった話の変化球が結構あるのですが、この一作目は実にオーソドックスなタイムトラベル物なんです。
両親の出会いを阻止してしまうなんて、ストーリー上の斬新なところはあるのですが、歪んだ歴史を元に戻すとか、過去でなにか弄ると未来でなにかが変わるとか、その辺のタイムトラベルの王道、タイムパラドックスの面白さは完璧に抑えているんです。いくら人間同士の絡みが面白いとしても、このタイムトラベル部分がしっかりしていないと、バック・トゥ・ザ・フューチャーと言う映画の存在意義がなくなってしまいますからね。
当時の思い出
バック・トゥ・ザ・フューチャー公開時、私は映画館で観ていませんでした。それどころかこの映画の存在すら知りませんでした。
その後バック・トゥ・ザ・フューチャーの続編が熱望されたため、数年後にバック・トゥ・ザ・フューチャー2が公開されたのですが、その宣伝も兼ねていたのでしょう。バック・トゥ・ザ・フューチャー2公開直前にフジテレビで放送したのですが、その時に初めてバック・トゥ・ザ・フューチャーを観て、無茶苦茶面白くて衝撃を受けたんです。前段でも書きましたが、TVに自分が入り込んでしまったような錯覚を受け、気が付いたら映画が終わっていました。面白い映画はあっという間に時間がたってしまうのですが、まさにこれがそうでした。
翌日、友人とこのバック・トゥ・ザ・フューチャーの話題になり、無茶苦茶面白かったことに同感したその友人と、速攻でバック・トゥ・ザ・フューチャー2を映画に観に行きました。
ところでこのフジテレビ版バック・トゥ・ザ・フューチャーは、Wユウジと宣伝していましたが、吹き替えに織田裕二&三宅裕司だったんです。何でもそうですが最初に観た物を良く感じてしまうのは良くある事で、私もこのWユウジの吹き替えが印象に残っていて好きです。しかしTV局独自の吹き替えですからね。ソフト収録されていないので残念です。いつかWユウジで再び聞くことができるんでしょうか。
こんな人にお勧め
- タイムトラベル物が好きな人
- スピルバーグが好きな人
- 娯楽映画が好きな人
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