コメント欄を閉じようかどうか迷っている方へ「コメント欄を閉じた理由」 5/5 (1)

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はじめに

今回はレビューでも感想でもレポートでもありません。

 

定期的に「記事にコメントをしたいけどコメント欄はないのですか?」とのお問い合わせやご要望を頂くので、一旦ここで何故コメント欄を閉じたのかいきさつや理由を書いておきたいと思います。また、コメント欄を閉じようかどうか迷っている方も多いと思いますので、その人達の参考になればとも思います。私もコメント欄を閉じるかどうか悩み、他の方の記事を参考にしました。

 

それでは早速コメント欄に対する考え方を書いていきたいと思います。

 

 

結論から先に書くとでデメリットの方が多いから

長々と書いて読ませるのも申し訳ないので、先に結論から書くと、コメント欄はメリットよりもデメリットの方が多いと感じたからです。

 

それは何故なのか。経緯を追いながら説明していきたいと思います。

 

最初は楽しかった

最初は当ブログもコメント欄を設置していました。承認制ではなく誰でもコメントができる状態でした。

 

面白いと思った作品の感想を書き、それに対して同好の士から貰えるコメントは、肯定であれ否定であれ、それは楽しめる物でした。自分では気付かなかった部分にコメントで気付いたりと実利もありました。

 

また、自分の記事を読んで感想をくれるという目に見える成果も嬉しく、やる気が出ました。ところがずっとそんな上手く行くわけはなく、アクセスが増えるにともない、否定意見どころか、理由なき人格攻撃の書き込みもされるようになりました。

 

誹謗中傷のダメージは大きすぎる

私は自分のメンタルが強くないどころか弱いことを自認しています。であるからこそ、少々遠回りになっても、否定的な意見の場合はできるだけ誤解されないように説明をし、言葉使いに気を付けて書いているつもりです。そのおかげで、説明くどいよと思われる方もいるかも知れません。ただ、これをしないと、読み間違って攻撃してくる人がいるんです。

 

前述したように、好きな作品に対してあーだこーだコメントされるのは楽しくもあり、ためにもなるのですが、なんの説明も理由も提示されず、ただ私を攻撃する人も希ですがいました。特に否定的な記事を書いたときは多かったです。

 

例えば、この漫画はつまらなかった…とかですね。勿論、前述もしたとおり、ただくそみそに貶すわけではなく、こう言う理由で自分には受け付けられなかったと書いています。理由を書き、自分には合わなかったけど、面白かったと思う人の意見を否定するわけではないと、ここまで書いても、一方的に理由も書かれずに誹謗中傷されることがあるんです。

 

また、「お前の意見は浅い」といった、いわゆるマウンティングの書きこみもありました。マウンティングとは、相手を貶し、馬鹿にし、自分の方が優位だぞと威嚇する行為です。勿論、そこに論理的理由はありません。自分と意見が違うから気に入らない、だから相手を馬鹿にしてやろうとの動機のみで、何故知識が浅いと指摘したのかは、この手のコメントで説明されたことはありません。

 

まともな意見のコメントを頂いたときの感情的なプラス効果が1だとすると、このような誹謗中傷のコメントは-100くらいのダメージになっていました。この辺りのダメージの受け方は人によるとは思いますが、私は一生懸命他人の違う意見を否定するわけではないと説明しても理解して貰えなかった徒労感も含め、大ダメージを負いました。そしてやる気が大きく大きくそがれるんです。

 

これが前述の結論で書いた、メリットよりデメリットの方が多いと感じた理由です。1つの誹謗中傷で全てが台なしになり、落ち込んだり気分が悪くなってしまうんです。

 

おそらくお気楽に悪口だけ通りすがりに残していく人は、ネットの向こうにも人間がいて、どのような思いでそのコメントを読み、ショックを受けるかなんてこれっぽっちも考えていないのでしょう。

 

否定的意見も受け入れるつもりだった

映画監督や作家などのクリエーターでたまにいますが、賞賛の評論だけを気持ちよく受け取り、否定した評論に怒る人がいますよね。私はあれが大嫌いです。作品を発表したのなら、賞賛も否定も受け取るべきで、そうでなければフェアじゃないと思っています。私も否定的意見は受け入れようと思い、そして実際に否定的なコメントはそのまま自戒の意味も含めて残していました。

 

しかし、前述もしたように否定的『意見』の意見にもなっていない誹謗中傷や人格攻撃がいくつか来てしまいました。例を挙げると、何の前段も説明もなく、「この作品を面白いと思えないなんてあなたは心の冷たい人ですね」とかです。何故そう思うのか、理由はなんなのか、一切説明なくこれだけが送られて来たことがあります。

 

コメント欄で質問して長々やりとりするのも不毛ですし、相手は通りすがりだと思うので回答があるとは限りません。何故?どうして?の疑問は永久に解決しないままです。

 

「このような誹謗中傷や人格攻撃まで私は受け入れなければならないのだろうか?」

 

これがコメント欄の閉鎖を真剣に考えた理由です。

 

言及する対象や方向性のズレを感じる

私はこのようなブログでの誹謗中傷や人格攻撃には物凄い違和感を感じます。何故なのか。それは方向性が違うからです。

 

例えば私がある映画に感想を書いたとします。この場合、私が向いている方向は映画そのものの作品に対してです。ところが誹謗中傷や人格攻撃をする人の場合、作品への言及、作品へ言及した私の記事へではなく、私個人への攻撃であしかありません。つまり誹謗中傷や人格攻撃をする人の向いている方向は私個人に対してなんです。

 

がこの作品つまらなかったと書いたら、攻撃者は私個人をおかしいと責めるんです。この方向性の食い違いはどうにも埋められません。この疲労感は半端じゃありませんでした。そもそも向いている方向が違うのですから。

 

コメントの返信に時間が掛かる

きちんとしたコメントをしてくれた方であればあるほど、こちらもきちんとコメントを返したいと思うのが人情です。

 

私はそれほど苦になりませんでしたが、良いコメントであったとしても、それに対するコメントを返信するのが大変になってコメントを閉じる方、または悩んでいる方も多いようです。一時話題になりましたがSNS疲れと一緒ですね。毎日何かしら投稿しないといけない、友達が何か投稿したらコメントを書かなければならないといったことが、いずれ義務感へと変わり、疲弊していきSNSをやめる。こんな話題も記憶に新しいのですが、真面目な人であればあるほどこの傾向に陥りやすいと思いますが、ブログでもこれはあります。

 

相手のコメントを否定しないように、長文に一行だけでは失礼だからそれなりに文字数を、相手の好みが分からないのでこの部分は褒めるべきか駄目と言うべきか…等々、気を使い出したらキリがないですからね。

 

実際、私も数個コメントを頂いただけでも、1つ1つ丁寧に、誤字脱字もチェックして…との作業になるので、簡単に1時間2時間過ぎてしまいます。この労力と時間をコメントの返信に掛けるなら、新しい記事を書いた方が…と思っても不思議ではありません。その場合も思い切ってコメントを閉じるのも1つの手です。

 

コメント欄を閉じて良かった

確かに同好の士と語り合う貴重な場がなくなったのは寂しいのですが、それ以上にストレス要因がほぼゼロになったことがなによりもメリットだと感じています。

 

妥協案としては、コメント欄を承認制にするとの手もあります。ただ、これでも誹謗中傷や人格攻撃は目に入ってしまいます。コメント欄を荒れさせたくない、表示させたくないとの人には向いているとは思いますが、私のようにネガティブなコメントに疲弊している人にとっては効果は薄いと思います。

 

総評

今回、私の経験と経緯を元に、何故当ブログがコメント欄を閉じたのか書いてきましたが、悩んでいる方の参考になれば幸いです。

 

アドバイスをするとしたら、一旦コメントを閉じてみて一ヶ月間のテスト期間を設けてみてはどうでしょう。コメント欄を閉じたら永遠に戻せないわけではないので、テスト期間を経て、やはりコミュニケーションがないと寂しいと思うならまた復活させれば良いだけです。

 

最後に。ここまで真剣にこの記事を読んでいるなら、それだけ悩んでいるということだと思います。そうであるなら思い切って閉じた方が良いと思います。仕事ではないのですから、ストレスを貯めたり、悩みながらブログをやるものではないと思います。

 

こんな人にお勧め

  • コメント欄の誹謗中傷や人格攻撃に悩んでいる人
  • コメント欄に疲れを感じている人

 

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