目次
みどころ
- 雨の後楽園
- 大会史上初めて1万人を突破した盛り上がり
- スタジオの電飾ルートが定着する
- 1983年当時の髪型やファッション
放送日時
日本テレビ本放送:1983年10月20日
はじめに
やっと…やっとやってきましたファミ劇でのウルトラクイズ新作再放送が!
以前の記事で、ファミ劇のウルトラクイズの再放送間隔を見ると、半年に1回新作が来るかなと予想していたのですが当てが外れ、前回の第11回放送から約1年の間隔になってしまいました。
このような過去の素人参加型番組の場合、当時再放送と言う放送形態自体が無く、再放送を想定した出演契約などが結ばれていませんでした。なので、再放送の場合は数多いる素人の権利はどうなるのか、許諾がいるのかが問題になり、再放送が難しい状態で暫く放置されていたんです。要は素人参加型番組の場合、素人の権利がどうなるのかが決まっておらず曖昧で、後に問題になるかも知れないので放送できなかったんです。
ところが昨今、BS、CSでチャンネルが増え、その結果当然枠を埋めるためにあらゆる番組の再放送がされるようになりました。すると当然局側は人気作の素人参加型番組も放送したいと思って当然です。そこで放送する側が、過去に細かい権利の契約をしておらず、曖昧だったこのような番組の放送にGOを出したんです。この辺りのことは局側の人が語っていたのを読んだことがあります。まあ局側が勝手に再放送したいからと素人の権利のハードルを下げただけなので、根本的な解決にはなっていないのですが…。とは言っても、ウルトラクイズのようにここまで素人がフィーチャーされる番組で完全に権利を無視して…と言うことも行かず、個人がクローズアップされる人には許諾を個別に取りに行っていたのだと思います。それこそウルトラクイズの場合、氏名や年齢は勿論、働いている会社、性格や趣味、家族の写真まで出ますからね。放送したときの社会的影響を考えると、いくら25年、30年前とは言え、さすがに彼らの意思を無視することはできないでしょう。
このファミ劇でのウルトラクイズの再放送はスポーツ新聞でも取り上げられ、ネットでも大きな反響を呼び、第12回ウルトラクイズ再放送では、スカパーアワードで『ココロ動いた番組賞』に選ばれました。
今でも再放送をすればここまで人気があることがわかっているわけですから、局側としてはこれまでのように半年に1度ペースで放送したかったはずです。しかし今回は予想を裏切り、1年の間隔があったことを考えると、さすがにこのような権利関係をクリアするのが段々と難しくなっているようですね。
その理由としてはいくつかあると思うのですが、やはりひとつは25年以上前の番組であり、かつ素人がメインの番組なので、出演者を探すのが難しいと言うこと。『あの人は今』と言う、過去有名だった人が今はどうしているのか探す番組がありましたが、あれを何十人に対してもやる苦労ですからね。
ウルトラクイズ参加者の同窓会が各回である場合があるので、その場合は比較的簡単にコンタクトが取れるようです。とは言っても、同窓会に参加していないフィーチャーされた素人もいるでしょう。また、同窓会が無い回、古い回で時間がたちすぎて存命かどうかも怪しくなっている場合などもあります。このような理由で権利がクリアできた回から順次放送しているからこそ、放送する回がバラバラなのでしょう。
本音を言えば第1回から見たいんですけどね。規模が段々と大きくなっていく様や、時代、技術、クイズ形式が洗練していく様などは順次放送を見てこそです。しかし放送する回があっちに行ったりこっちに行ったりと前後することで、この辺りの感動や驚きは感じられなく、少し残念な気持ちも正直あります。放送してくれるだけで有り難いので文句と言うわけでも無いんですけどね。
再放送でもこれだけ話題になる番組ですから、今現在も局側は権利のクリアに奔走しているはず…と思いたいです。なので、今後もおそらく権利がクリアできた回から順次放送していくと思います。それが半年後か1年後かは分かりませんが、今回間隔が開いてしまったことで、この辺りの放送するに当たってクリアしなければならない問題が段々難しくなっていることが容易に想像が付きます。
歴代最高視聴率、そして福留さん最高評価回
今回放送する第7回は色々と評価が高い回で、ひとつは有名ですがウルトラクイズ歴代最高視聴率であったことです。なんと視聴率は35.4%です。時代によって世の中でテレビが占める割合が違うので、一概に今と比較できる物ではないのですが、当時としても35.4%は驚異的ですね。前回の第6回が27.2%、次回の第8回が23.1%であることを考えると、この第7回の視聴率は飛び抜けていると言って良いと思います。
また、司会の福留さんが歴代ベストと評した回でもあります。そして、大会史上初めて参加者1万人を突破したのも、スタジオの電飾ルートが定着したのもこの回で、ウルトラクイズ史上でも色々ターニングポイントになる回だったようです。
第7回は初見
私はこの第7回の放送は初めて見ます。子供過ぎてウルトラクイズの番組自体認識していなかったか、あっても気にせずスルーしていたはずです。なので、1983年の番組の再放送とは言っても、私にとっては新しい番組とほぼ同義です。第10回以降の放送なら、現在社会的に重要な役割を担うボリュームゾーンである30代後半~40代前半の人もリアルタイムで見ていた人も多いと思いますが、さすがに33年前の放送ともなると、私のように初見の人が多いかも知れませんね。33年前と言えば45歳の人で12歳、40歳の人で7歳、30歳の人なんて生まれていませんからね。時の流れを感じますね…。リアルタイムで見ていた人は40代中盤当たりでしょうか。
と言うことで、新鮮な気持ちでほぼ新番組として、33年前の番組をワクワクしながら見ると言う不思議な見方なのですが、今回はこの辺りの人と感想をシンクロできたらなと思います。
放送内容
ここからは放送の順を追いながら感想を書いていきたいと思います。
大会当日深夜の様子
最初はいつもの如く、大会当日深夜の後楽園球場前の様子からでした。どれだけこのウルトラクイズが盛り上がっているのか、当日開始前の深夜からこんなに人がいるんだぞ、徹夜組がいるんだぞと見せています。また、そこまで一生懸命な人はどんな人なのか、どこから来たかなどの人となりも紹介。ここは例年通りですね。
1983年当時は当然ドーム球場など存在しておらず後楽園球場です。ちなみに、私は野球を見るのも好きなのですが、ドーム球場(室内)の人工芝で野球をするのを見るのは余り好きではありません。やはり、野球は広い空の下、青々とした天然芝でやるのを見るのが気持ちが良いです。なんて言うんですかね…見ていても伝わってくる開放感と言うか…。閉じたドーム球場の空間って見ていて狭苦しく息苦しく見えてしまいます。
話が横道に逸れましたが…。このときの後楽園球場外の様子を見ると、取材陣のライトを付けないと真っ暗で周りがよく見えない感じでした。この頃は今のように煌々とした街灯が一杯ってわけではなかったみたいですね。勿論、私もこのとき産まれてはいましたが、当時どれだけの街灯があって街中はどれくらいの明るさだったのか。そして今と比べるとどんなレベルなのかなんて考えたこともなく、このときの様子を見て、「ああ、今より明かりが随分少なそうだな」と感じました。
大会当日朝の様子
そして明けて大会当日の朝。この第7回開催日は1983年8月14日だったんですね。ちなみに曜日は日曜日なので勤め人も参加できます。勝ち残っていくと大変なことになるのですが…。しかしこの時期ってお盆ど真ん中ではないでしょうか。車の渋滞や電車の混雑が凄そうです。…が、逆にお盆は皆里帰りをして首都圏はガラガラなんてこともあるのですが、このときはどちらだったのでしょうね。また、お盆だ、家族持ちは帰省することが多いので、ウルトラクイズに参加するのも大変でしょう。そして前述もしましたが、この第7回は大会史上初めて参加人数1万人を超えた大会でもあることも冒頭で触れられていました。
第1問は毎年恒例で球場前で出されるのですが、この第1問を読み上げるのは当然総合司会のトメさんこと福留功男アナウンサー。1941年1月28日生まれなので御年42歳。自我がハッキリして福留さんをきちんと認識して見ていたのは、この時よりだいぶ後だったので、42歳の福留さんでも物凄く若く見えます。ただ、今の42歳と比べると悪く言うと老けている、良く言うと貫禄がありますね。この辺りの当時の年齢と見た目については出てくる参加者でも色々思うところがあるのでまた後ほど。
第一次予選「○×クイズ/後楽園球場」(10203人→100人)
さて、今回のウルトラクイズ第1問は以下の通り。
自由の女神のおかえしにアメリカの人々も、フランスへ自由の女神を送った。○?×?
今だとすぐネットで調べられるんですけどね。当然ながら当時ネットはありません。インターネットの前身のパソコン通信ですら1980年代後半からでした。そして第1問が出されて始まるのは公衆電話争奪戦。家族や知り合いにこの問題の正解は知っているのか電話を掛けまくります。今だとこんな光景にはなりませんね。
この『他力』との部分では今のネットで調べることと大差はないのですが、何億人、何十億人の知識を集約させたネットと、自分の知り合いの輪だけで知ろうとすることの差は大きいです。今はスマホでちょっとポチポチすれば、何億人の知識が集約された大辞典を気軽に調べているようなものですからね。ネットはあらゆる部分で便利になり、もはや人類に欠かせない物ではあるのですが、一方で不便さから来る面白さや、回り道の探り方なんてことは消滅してしまいました。今は何の努力も工夫もせずネットで一発ですからね。この部分は、今ウルトラクイズができない大きな要因の1つでもあります。
この公衆電話争奪戦では、後に福留さんに良いキャラと認識される岩瀬さんが映っていました。何台もカメラがあって追い掛けているのでしょうがラッキーな偶然ですね。この第7回は初見なので誰が優勝したのか当然わからず、わからないまま見ようと思っているのですが、この記事を書くときに視聴率や参加人数、ルート確認をするときに何名かの重要な参加者の名前は目に入ってきました。その1人がこの岩瀬さんとのこと。
ちなみに、この第1問に限らず、今見ると結構易しそうな問題が出ていたのですが、それはこの当時情報伝達の手段が未発達だったので、今のように皆簡単に知識が手に入る時代じゃなかったからでしょうね。当時の番組を見て問題が簡単そうだったので、昔の人より今の方が賢い、知識が豊富かって単純な話ではないと思います。今はネットがあるおかげであっと言う間にあらゆる情報が意識、無意識関わらず飛び込んでくるので、それが蓄積されて知識量は昔より圧倒的に多いとは思いますが、それは私たちが賢いのではなく、時代背景からくる他力に賢さでしょう。当時私たちが彼らくらいの年齢でその世の中で育っていたら、これらの問題にも頭を悩ませていたと思います。
例えば料理の知識。料理に興味がない人にとってはまさに未知の世界のことで、自ら本で読むくらいしか知識が手に入る手段はありませんでした。ところが今だと、何気ない素人のブログだったり、掲示板やTwitterでの雑談で「この料理の材料は○○なんだよ」など、『無意識』に本来興味が無い情報が入ってくる手段が非常に多いんです。前述した無意識の知識の蓄積とはこういうことなんだと思います。これが当時の人はほぼ皆無でした。そりゃあ知識量が今と違うのも当然です。
今回は問題の正解を調べるのに四苦八苦している中面白いシーンがありました。この第1問に出てくる当事国の人である通りすがりのフランス人を捕まえて、参加者が正解は何なのか聞いていました。そして、そこに徳光さんも現れ…。ナレーションでフランス人なら全員知っていると言っていましたが本当でしょうか。ちなみに、このフランス人2人組の片方はちょっとプラティニっぽかったかも。
また、後楽園外のウルトラクイズのアトラクションとして、ゲーム機筐体を模した答えが分かる機械が…。こういう面白い遊びがあるのがより一層お祭り感を醸し出しています。ほとんどの人はこの後楽園を突破できず帰ってしまいますからね。それで折角の休みにただ後楽園へ来て○×を何問か答えてハイサヨウナラでは満足するのは難しいと思うのですが、このような後楽園外で楽しめることもあり、お祭りに来た満足感を演出することで、たった1問で参加が終わってしまう人も皆楽しめたのでしょう。このような参加するだけで楽しそうなお祭り感見るにつけ、毎回自分も参加したかったとの思いに駆られてしまいます。
そしてここでOPに入ったのですが、何故か今回はハートマークのエフェクトが多用されていました。今見るとたいしたことのないエフェクトなのですが、当時の編集技術からすると多分大変だったんでしょうね。
ちなみに、今回もスタジオパートがあり、本編の補足説明、ルート紹介などを高島忠夫さんと石川牧子さんのコンビでやっていましたが、このような世界地図に曲線のルート紹介、そしてお馴染みのBGMとのスタイルが定着したのはこの回からだそうです。その前からもっとシンプルな直線のルート紹介などはあったみたいですけどね。そう言う意味でも1万人突破、歴代最高視聴率回とともに、ターニングポイント的大会のようです。
前回の再放送から1年ぶりにこのウルトラクイズを見ましたが、このスタジオパートも凄いですね。当たり前と言えば当たり前なのでしょうが、一切噛むことなくスラスラ喋り、この2人のクロストークに全く隙間がなく流れるように説明していき、それでいて所々にちょっとした笑いを入れている軽妙なコントのようでした。ここまでできるアナウンサーとかタレントって今いるんですかね…。また、これも以前の記事で書いているのですが、このスタジオパートは今だとなくても良いいらない子扱いされることが少なくないのですが、ウルトラクイズにこのスタジオパートは必要なんです。
今だとスタジオパートは芸人さんやアイドルがひな壇に座ってあーだこーだ喋ってブリッジになるだけなのですが、このスタジオの場合、本編で補えきれなかった補足説明だったり、ルート紹介だってり、必要な情報を伝える必須のパートでした。当時、でかでかとテロップが出る慣習も技術も無かったので、細かい部分を補足するこのスタジオは必要で、さっきのシーンはそういうことだったのか、これからはそういう流れなのか、それが注目なのかと知らせてくれるんです。
このスタジオパートで今回まさに大事な情報が補足説明されており、去年(1982年)の大晦日にウルトラクイズの敗者復活戦が行われ、その優勝者の優勝賞品として、この後楽園の○×クイズ、成田空港のジャンケン、機内400問ペーパーテストをパスして一足飛びにグァムへ行くことが説明されていました。まあこの挑戦者は後にズコーッとなることになるのですがそれは後のお楽しみ。
さて、第一次予選の後楽園球場に映像が戻るとそこは雨でした。このとき台風6号が接近していたそうです。とは言っても後楽園球場を1日借り切り、1万人以上の参加者を全国から集めておいて雨だから中止ですってのもできませんから強行です。
ここでは福留さんが台風情報に触れ、「しかし本当の台風の目はここ後楽園球場にあります」と言っていましたが、こういうところが本当に上手いんです。洒落が効いていて参加者を笑顔にさせて盛り上げる。これができる人って本当に少ないと思います。逆に言えば、ここまで神懸かったMCをする人であるが故、後継者には荷が重すぎて代替わりできなかった要因でもあるんでしょうね。
今挙げたような洒落たMCはたまに出るのではなく、本当にいつもポンポンその場で出るから凄いんです。予め決めていたセリフなら読めば良いだけなのでできるのですが、チェックポイントが進んで、どう考えても突発的なでき事で予め考えられるわけないような場面でも、こんな洒落て皮肉が効いててニヤッとしてしまうMCが毎回次々と出てきます。この頭の回転の速さ、機転の効かせ方、そして一番凄いと思うのは、このようなことを短い一文で表現すること。だらだらしつこく修飾語を重ねて言わないんです。適度な一文で全てを表現してしまうんです。頭の回転が早い人はいるでしょう。機転が利く人もいるでしょう。簡潔にまとめられる人もいるでしょう。しかしこれら全ての要素を併せ持ち、なおかつそれを表現できる人はほとんど存在しないと思います。これが福留さんのMCの凄いところなんです。
恒例の「ニューヨークへ行きたいかー!」、「罰ゲームは怖くないかー!」のシュプレヒコールの後、こちらも恒例の歴代チャンピオン入場。今回はハーレーダビットソンに乗っての入場でした。ここでは歴代優勝者が○と×どちらへ行くか、1万人の衆目の中移動するのですが、皆がそれに一喜一憂します。この第1問ですら優勝者の選択は別れるんですよねえ。
そしてスタジオパートで触れられていた昨年末の敗者復活戦優勝者佐藤麻利子さんが自転車に乗せられて登場。…が、物凄く憂鬱そうな表情で登場。まあ恥ずかしかったり、どうして良いかわからなかったのでしょうね。なにせ1万人が注目する中素人が登場して福留さんとやりとりするわけですから。
今回第1問では○4185名、×に6018名でした。およそ4:6ですが今回も上手いこと別れました。ウルトラクイズのクイズ作家さんのブログで読みましたが、ここでちゃんと半々くらいに別れるくらいの問題を作るのが毎回難しかったそうです。どちらかに偏ってしまっては勝者を選別できません。さらにそんな偏る問題が続いてしまってはいつまでたっても終わりません。ここで綺麗に半々に別れると「やった!」と思うそうです。
ちなみに、第1問の答えは○。アメリカはフランスから送られた自由の女神のお礼に、11mの自由の女神を送り返したとか。後楽園外でフランス人に聞いていたシーンがありましたが、あの人はパリで見たことがないと言っていたので間違っていたんですね。
そしてこれも恒例。敗者レポーターの徳光さん。第7回はハンマーではなくジャケットに悔しい思いの丈を落書きすると言うもの。ジャケットが落書きだらけになっていました。それだけではなく、顔にまで落書きをされると言う…。
第1問を正解した人はグラウンドに降りられるのですが、ウルトラクイズに参加することが最初の目標であるとするなら、その次の目標はこのグラウンドに降りることなんですよね。また、このとき福留さんが言っていましたが、今回の参加者の平均年齢は23歳ちょっとだそうです。勝ち進めば1ヶ月の長旅になりますしやはり大学生が多いみたいですね。
この○×クイズの連続は過去の記事でも書いてきましたが、歴代王者ですら突破することはほとんでできない難関です。おそらくこのウルトラクイズの中では最も突破が難しいところでしょう。それも当然で、規定の100人に絞り込まれるまで○×クイズが延々続き、その間1問でも間違えたらそれでハイおしまいなんです。
これ以降はここまでの○×クイズの連続はなく、残る一発アウトの○×はグァムのどろんこクイズのみです。どろんこクイズも連続ではなく1問だけなので、後楽園球場の○×クイズほどの難易度ではありません。また、それ以降も1回間違っただけで失格なんてことも無いので、やはり連続何問も出る○×クイズに全て正解しないと突破できないこの第1次予選は、ウルトラクイズ最難関の部分でしょう。
しかし○×クイズで敗退したからと言って終わりではなく、その後スタンド席に戻ってこのウルトラクイズの様を観客として見ていられます。これは相当大きいです。テレビで見てこれだけ面白いのですから、目の前で今まさに行われているウルトラクイズを見られるのは唯一無二の経験でしょう。これはどうしても参加しないとできない体験です。ウルトラクイズ観覧のようなものです。これだけで価値があると思います。
今回の○×クイズでは敗者復活戦はないんですね。後楽園球場での敗者復活戦はこの次の第8回からのようです。今回は最初に99名の突破が決まり、残り1名の椅子を巡っての戦いが繰り広げられました。きっちり100名の突破です。
しかし、よく考えるとこの部分って名前も知らない素人が○×クイズをやっているだけなんですよね。それでこれだけ見て楽しくなる番組ってのちょっと他に思い浮かびません。これだけでもいかに特異な番組か自分でも再認識しました。
第二次予選「ジャンケン/成田空港」(100人→50人)
さて、後楽園球場を勝ち残った100名はいつもの如く成田空港のジャンケンのステージへと上がります。この日は9月4日の日曜日午前6時。後楽園球場での第一次予選が8月14日日曜日だったので、ちょうど3週間開いたことになります。
ここでは福留さんに徳光さんがお願いをするいつものミニコントがありました。今回の徳光さんの要求は変わっていて、突破人数を増やしてくれとか、運頼みのジャンケンはやめてくれとのものではなく、ジャンケンに負けた方を突破させてくれと言うものでした。しかし、全て負けを突破させるのも無理な要求と自覚している徳光さんは、10名だけ負けた方を突破させようとの妥協案を出しめでたく成立。ジャンケンに負けた方が喜ぶと言う不思議な絵が展開されることになります。
第一次予選を勝ち残った参加者はちょうど男女半々の50名半々だったとのことで、ジャンケン対決は男vs女という方式に急遽決まりました。
昔の人は老けて見えると前述しましたが、今回の参加者でもそれが顕著で、この岩瀬さんなんて20歳とのこと…。今だと45歳かそれ以上に見えますよね。このように昔に人は老けて見え、今の人は若く見えるとよく言われますが、実際に食べるものが良くなったこともあるかと思いますが、髪型やファッションも大きいのでしょう。当時の大学生の髪型やファッションなんて、今だと40過ぎか下手したら50過ぎの人がするようなものですからね…。ファッションや髪型ってある程度のサイクルでまた流行ることが良くあり、70年代の髪型なんて今でも似ているような部分があったりするのですが、80年代の髪型やファッションってその輪の中から外れてて、80年代でしかないような物が多い気がします。これも80年代の人が老けて見える要因の1つかもしれません。
ここも本来、『素人がジャンケンしているだけ』なんですよね。しかしこれが無茶苦茶面白い。福留さんの参加者の良いところ、面白さを引き出す術も素晴らしく、正直鬱陶しそうな人も良いキャラへと画面を通して変わってしまうんです。今ならネットで色々言われそうな人もチラホラいるんですけどね。全てほほえましいキャラへと変貌させてしまいます。
しかしこの頃の女性って似たような髪型が多くいですね。聖子ちゃんカットと言うのでしょうか。私は中森明菜さんみたいな髪型だなと思ったのですが、このとき18歳なのでまだそんなに浸透していない気がするので、やはり聖子ちゃんの真似なんですかね。
徳光さんもメインで映っているジャンケンの裏で敗者レポーターの仕事をしっかりとしていたようで、画面に映る度に顔の落書きが酷くなっていったのには笑ってしまいました。
そしてここで勝ち抜けた50人の割合はと言うと、男性18名、女性32名でした。全て男女対決だったため、圧倒的に女性の方がジャンケンに強かったことになります。
第二次予選敗者復活戦「早押しクイズ/成田空港」(50人→1人)
ここでは徳光さんが3枚の敗者復活チケットを用意。最大で3名の敗者復活が可能な早押しクイズが行われました。
3枚のチケットが用意されてはいるのですが、1枚に付き1問の問題が用意されており、誰も答えられなければそのチケットは消滅。それが3回続いてしまえば誰も敗者復活はできませんし、3問とも誰かが正解すれば3名敗者復活できると言うものでした。
このとき徳光さんの後ろで七輪を使って魚を焼いていたのですが、何のためにあるかと言えば…そう、無駄になったチケットを燃やすためでした。答えられない場合はチケットを1枚ずつ燃やしていくんです。こういう演出も面白いですね。
この敗者復活戦では最初の2枚は七輪で焼かれてしまったのですが、なんとか最後の1枚で1名の敗者復活が決まりめでたしめでたし。敗者復活戦をやって誰も復活しませんでしたでは、この敗者復活戦の意味がなくなってしまいますからね。
第1チェックポイント「機内400問ペーパークイズ/東京→グアム」(51人→40人)
福留さんがここで言っていました。「後楽園も運だった。成田も運だった。これから初めて実力が問われます。」と。
福留さんが言う通り、ここからがウルトラクイズ本番なんです。後楽園と成田まではお祭りなんです。正直ここまでは運だけで残れるんです。逆に言えばクイズ知識がなくても飛行機にまでは乗れるので、クイズに自信がない素人も参加できるハードルが低い番組となり、国民的人気番組になった理由でもあります。とは言え、運だけでいつまでも勝ち抜けができたのでは、本来のクイズ番組の趣旨から外れてしまいます。そこで一気にここで『運だけの人』を落としに掛かるんです。
後楽園と成田で『クイズだけの人』を落とし、この機内ペーパーテストで『運だけの人』は脱落し、ある程度クイズの知識がある人が残る上手い仕組みになっています。
ここでそれまでのお祭り感覚から一気にシリアスなクイズ番組へと空気が変わるのですが、それが如実に表れていることが、ここから『第1チェックポイント』と呼ばれることです。これまでは第一次予選、第二次予選と言われているのであくまで予選であり、ここからが本番であることが示唆されています。
この機内ペーパーテストは、1問を約6秒ペースで回答しないと間に合わないので、挑戦者が大変なのは勿論ですが、採点するスタッフも相当大変だったみたいです。番組に大きく関わったクイズ作家の萩原さんも語っていました。また、ここは番組では放送されていませんが、200問ずつに分けてテストを行ったそうです。理由はスタッフが採点する時間を作るため。グァムに降り立つ前に、1人400問のクイズを40人分採点しなければなりませんから大変です。
この機内ペーパーテストでの合否は降りるときのゲートでブザーが鳴るか鳴らないかでわかり、ブザーが鳴って失格の場合はそのままグァムの地を踏めずに帰国。そしてそのグァムで待っていたのは、敗者復活戦王者の佐藤麻利子さんでした。しかし、この佐藤麻利子さんと、機内ペーパーテスト合格者の中での最下位2名で○×クイズが行われ、なんと一足飛びにグァムへ来た佐藤麻利子さんが失格。
去年末の敗者復活特番で優勝した特典として、後楽園の○×クイズ、成田空港でのジャンケン、機内ペーパーテストが免除されたのですが、皮肉なことに免除されたその○×クイズでいきなり失格して帰国の憂き目に遭ってしまいました。
ちなみに、ここでお母さんと言われていた42歳の牧野さんがいたのですが…やはり今と比べて随分老けて見えますね。お婆ちゃんにしか見えません…。今の42歳だともっともっと若々しいのですが…。
33年でここまで生活習慣から来る物なのか見た目って変わるんですね。野球のイチロー選手なんて42歳でこの牧野さんと同じ年齢ですがまだバリバリの現役ですし、サッカーの三浦知良選手なんて46歳で現役です。ちなみにこの牧野さんがこの時点で最年長でした。
ここでは明確な罰ゲームはないのですが、グァムまで飛行機で来てその地を踏めずそのままとんぼ返り。そして機内ではまだあまり仲良くもなっていない人たちと重い空気の中の帰国。これは実質罰ゲームと言って良いでしょう。
第2チェックポイント「突撃○×どろんこクイズ/グァム」(40人→19人)
さて、ここから遂に日本を飛び出して本格的な世界を巡る冒険の始まりとなります。そしてその第1発目は勿論どろんこクイズです。
第1週の放送はこのどろんこクイズを3名行ったところで終了。このパターンもいつもの通りです。
放送を見終わって
いやあ…やっぱり面白いですねえ。この第7回は子供過ぎて見ていたとしても記憶には残っていないので、初めてと同じ気持ちで見ることになると思っていましたが予想通りでした。まーったく見た記憶がありません。ここまで一瞬たりとも思い出すシーンがないと言うことはおそらく本当に見ておらず、これが本当に初見なんだと思います。
自分としては新番組としてこの第7回のウルトラクイズを見ていることになるのですがやはり無茶苦茶面白い。初見なので時代的に懐かしかったり、このウルトラクイズのフォーマットに懐かしさ、面白さを覚えることはあっても、それ以外での思い出補正はないはずです。それでもやはり90分があっと言う間に感じられるほど面白く熱中して見てしまいました。そして見ている自分が何故かニヤニヤしているのがわかるんです。他人から見れば気持ち悪いでしょうが、そんな自然な笑みがこぼれるほど面白かったです。
総評
大人になって見ても物凄く面白いので、子供の頃に考えなかった何故面白いのかとか考えるのですが、やはり自分が参加しているような感覚になることが一番なんでしょうね。
このウルトラクイズは誰でも参加でき、誰でも運で飛行機にまでは乗れてしまう、良い意味での参加ハードルの低さがあります。これがあるおかげで、実際に後楽園で参加していなくても、『自分だったら』と感情移入できてしまうんです。
一般的なクイズ番組だと参加者のレベルが高すぎてどこか引いて見てしまい、自分には関わりがない物だと冷静になって見ることになるのですが、ウルトラクイズの場合、もしかしたら自分もどこそこまでは行けるかも知れない、テレビに出てヒーローになれるかも知れないと錯覚できてしまいます。第三者視点で引いてみる場合と、自分もあそこにいたかも知れなかいと感情移入して見る場合では、当然熱中度が雲泥の差になりますよね。
特にトラブルが無ければ次回もまた感想を書きたいと思います。それではまた来週。
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