バラエティ全話レビュー「第16回 アメリカ横断ウルトラクイズ 第1週」レビュー 5/5 (1)

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みどころ

  • 福澤朗の司会
  • 90年代のファッションやメイク
  • グァム台風直撃で泥んこ○×クイズできず

 

放送日

  • 日本テレビ本放送:1992年10月22日

 

はじめに

さて、今回は問題の…というと語弊がありますが、ウルトラクイズ全17回中、唯一全編を福留さん以外が司会を行った大会です。この前回大会の第15回は、第1問目だけ福留さんが出題し、その後福澤さんにバトンタッチされました。私は年齢的にも当然見ています。見ていますが…ほぼ覚えていません。

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やはりどうしてもそれまでの輝かしい実績のあるウルトラクイズは、福留さんがいてこそというのはこの頃も皆共通認識だったので、興味が薄くなんとなく見ていたのだと思います。見ていくうちに思い出すかもしれませんが、もしかしたらほぼ初見のような感想になるかもしれません。

 

誤解のないようあらかじめ断っておきますが、決して福澤さんのウルトラクイズを否定する意思はありません。これは、記事を読んだ人からの批判が怖いからおもねっているということではありません。どうしてもたった1回全編を福留さん以外が司会を務めたウルトラクイズなので、それ以外との比較は書かざるを得ません。しかし、だからといって否定するわけではないことをご理解いただければと思います。

 

正直に告白すると、当時は「福澤はないよな~」と思っていました。しかし、それはウルトラクイズと福留さんのマッチングが異常にピッタリだったので、誰がやっても無理だよなという気持ちでもあります。そして今はその気持ちが更に強くなり、『誰がやっても厳しい』から『それにしては頑張った』とゆるやかに変わっていきました。そりゃあ、あの福留さんを超えるのは無理なんです。

 

前述もしましたが、今大会は福澤朗さん司会のウルトラクイズです。

 

福澤 朗(ふくざわ あきら、1963年9月14日 - )は、ノースプロダクション(旧イースト・プロダクション)所属のフリーアナウンサー、タレント、司会者、ニュースキャスターである。元日本テレビアナウンサー。

 

上記生年月日を見ていただければ分かると思いますが、このとき福澤さんは28歳です。皆さん28歳の頃の自分を思い出してみてください。2万6千人超集まる日本一規模の大きいクイズ大会の司会できますか?15年続いてきた日テレ看板番組の司会のバトンを受け取れますか?とてもじゃないですが私は無理です。福澤さんは福留さんと同じアナウンサーの土俵にいるからといっても荷が重すぎます。

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では福留さんは第1回のとき何歳だったでしょうか。

 

福留 功男(ふくとめ のりお、1942年1月28日 - )は、日本のフリーアナウンサー、タレント、司会者、エグゼクティブ・プロデューサー。元日本テレビアナウンサー。

 

第1回大会が1977年なので、福留さんはウルトラクイズ初司会のこのとき35歳となります。それでもまだまだ若いのですが、ゼロから自分が作り上げた番組でありブランドなので、単純に福澤さんと比較はできません。

 

もし福澤さんが1から番組を作っていったのならまた話は違ったのでしょうが、既にでき上がったフォーマットに転校生のように填め込まれた形なので、違和感が凄くなるのは仕方がありません。その違和感を乗り越えて、今後福澤さんのウルトラクイズとして続けていけるかどうか…の回だったのだと思います。

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次に6年後に単発で復活する今世紀最後(第17回)のウルトラクイズがありますが、経済的な情勢も合いなり、ご存じの通り今大会でレギュラーのウルトラクイズは終わってしまいました。

 

放送内容

ファミ劇での再放送では、先日放送された第8回で、提供クレジット部分が丸ごとカットされ、ぶつ切りになった週がありました。しかし今回は、提供クレジットの文字とアナウンスだけ取り除き、背景の動画とBGMはそのまま放送されていました。これを見ると、昔は字幕や音声は動画と一体化していて分離できなかったのではないかと思います。1992年放送の今回は、テロップと音声を削除できていたので、この頃動画と音声を分離できる方式になっていたのでしょう。

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今回の放送を見てなにか番組の流れが寂しいと思ったら、スタジオパートがありませんでした。ということで、今大会は今後もスタジオパートは全くありません。『総合司会 高島忠夫』とクレジットされるように、スタジオパートもウルトラクイズの重要な一部です。行われるルートの紹介や見所を教えてくれる貴重な場だったので残念です。今の番組のように、芸人や見たこともないモデルが浅いコメントを残す物とは違い、スタジオを挟む意味がきちんとあったのですが…。

 

スタジオパートが無くなったということは、ルート紹介もなくなったことを意味します。今後どのようなルートを辿ってニューヨークまで行くのか。次はどこなのか。視聴者にもわかりません。狙ってやったことだと思うのですが、この辺りは賛否が分かれるところです。

 

先を知らずに挑戦者と同じ目線で番組を見ることが良いのか、それとも知った上でこの先を想像することが楽しいのか。人によるかと思いますが、これまで当たり前のようにルート紹介があっただけに、やはり一抹の寂しさを感じずにはいられません。

 

また、スタジオパートが無くなっただけではなく、番組で使用される曲も変わりました。変わったといっても、現代風(当時)にアレンジしたバージョン違いです。全く別の曲ではないのですが、私たちが知っている馴染みのある曲ではありません。言ってみれば、TMネットワークさんの『Be Together』を鈴木亜美さんがカバーしたみたいな感じでしょうか。「盛り上がってきたー」というところで、「ん?」と肩透かしを食らう感じがしました。

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OPナレーションではいつもの福留さんの声ではなく、福澤さんの声で流れてきました。そこからまず違和感を覚えてしまいます。拒否反応ではなく、あくまでいつもと違うなとの感覚です。さすがに15年歴史のある大会ですから、違う人になってしまうとどうしても違和感は出ます。

 

そして、最初は何故か『あなたの知らない世界』のような怪奇的雰囲気で始まりました。何かと思ったら、これまで12回連続1問目で敗退している蓑原弘豊さんが、神社で願掛けしているシーンでした。

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そしてこの回の一次予選が行われた日付は1992年8月9日の日曜日とのこと。夏休みまっただ中であり、お盆も重なることから、この一次予選には学生も社会人も参加やすいのですが、運良く勝ち進むと…。

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この頃の福澤さんは、ジャストミート福澤の名で通っているハイテンションキャラでした。バラエティ方向に強く、だからこそ福留さんの代役になったのでしょう。当時を思い出してみると、多くの人がバトンを継ぐのは小倉淳アナかなと思っていたのですが、蓋を開けてみると福澤さんの大抜擢でした。

 

では何故福澤さんがジャストミートと呼ばれるようになったかというと、『全日本プロレス中継』の実況で、技が決まったときにジャストミートと頻繁に使用していたからだそうです。てっきり野球と関係しているのかとも思ったらそうではありませんでした。

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やがて『全日本プロレス中継』の実況に抜擢され「ジャストミート!!」(スタン・ハンセンのウエスタン・ラリアットや小橋建太のムーンサルトプレスや川田利明の顔面蹴りが決まった瞬間)、「ファイヤー!!」(同様に三沢光晴のダイビング・エルボー)を連呼し、また番組内の「プ・プ・プ・プロレスニュゥ〜ス」のタイトルコールも印象的な『プロレス・ニュース』では福沢ジャストミート朗として黒縁眼鏡に白い鉢巻をするようになる。

 

ちなみに、このときの福澤さんは前述もしましたが28歳で入社5年目。嘘か誠か、基本給は19万8600円とのこと。本当だとしたら、総支給額がそんなわけはないので、手当盛り盛りなのでしょう。更に付け加えると、福澤さんは本気で役者志望でした。

 

いわゆる役者の卵だったのですが、演劇集団の団員昇格選考で落選してアナウンサーになった経歴を持っています。このような点から考えると、ウルトラクイズなどの司会は役者に近い仕事ともいえるので、本来やりたかったことに近いのかもしれません。

 

一方この頃、前司会者福留さんはなにをしていたかというと、前年の1991年3月31日にフリーに転身、その後TBSの『ブロードキャスター』を1991年10月から始めていました。この辺りのことも、1991年途中からと、今回1992年の司会に福澤さんが起用された一因なのでしょう。

 

恒例のOPですが、前述もしたようにBGMにはアレンジが加えられており、馴染みのある曲とは若干違いました。しかしナレーション自体は福留さんから福澤さんに変わったものの、テンポの良い早口で、いつものウルトラクイズでした。また、これも前述しましたが、提供クレジットの部分は綺麗にテロップとナレーションがカットされており、ノンクレジット版となっていました。

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第一次予選「○×クイズ/東京ドーム」(26121人→100人)
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今回の予選参加者は2万6千人超でした。これでも多くの挑戦者が参加した大会なのですが、ウルトララクイズ史上、唯一前大会から挑戦者が減った大会です。ちなみに、7年後の今世紀最後のウルトラクイズでは参加者は倍増しています。

 

今回がレギュラー最後の大会になってしまったこと、参加人数が減ったこと、平均視聴率が最低だったこと、司会が福留さんではないことなど、色々な意味で特異な大会になってしまいました。

 

今回の一次予選は東京ドームです。ファミ劇では放送する大会の回がかなり前後するので混乱しますが、後楽園は第11回の1987年までで、東京ドームは第12回の1988年からとなります。

 

まずパッと見て思うのは「映像が綺麗!」ということです。勿論、今のハイビジョン映像に比べるべくもありません。しかし、先週の放送が第8回の1983年で、暗く荒い映像だったこともあり、格段に綺麗になった感じがします。カメラの性能も上がったのでしょうが、保存するテープの性能や保存状態も改善されたのでしょう。いくらしっかりと映像を残していても、保存状態が悪ければ話になりません。

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昔のアニメが現代の技術でリマスターされることがありますが、一部テープを保存しておらず、予告編だけは視聴者から録画テープを借りて収録したなんて話もあります。それはめぞん一刻なのですが…。いかに昔の管理がいい加減だったかが分かる1つのエピソードです。更に昔は放送したテープの録画、保存なんてしないことが当たり前だったようです。

 

また、映像の綺麗さと同じく目に付くのは、明らかに80年代とは違う90年代のファッション、髪型、メイクです。昔の映像を見ると、このあたりに世相が出ていて非常に面白いです。92年8月と言えば、バブル景気がはじけてすぐの頃なので、バブルの残り香がしつつ、少し質素に落ち着いた感じになったかなとの印象です。ちょうどワンレンが流行った時期だと思います。多くの女性が判で押したように黒髪ロングのストレートでした。

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ワンレンクス(one length cut)はヘアスタイル(髪型)で、ワンレンクス・ボブのこと。ストレートの髪でフロントから後ろまでを同じ長さに真直ぐ切り揃えたものである。略してワンレン。毛先に段差をつけるレイヤーに比べ、重い印象を受ける。

 

1990年代前半のディスコに集まる女性は、ワンレンロングヘア・ボディコン・爪長・ハイヒール、というのがお決まりのファッションだった。

 

ミドル・ショートスタイルのワンレンクスも1990年代初頭に流行した。女優の山口智子などもこの時代にはこのショートスタイルだった。ロングでは田中美奈子、田中美佐子に「W浅野」の二人(浅野ゆう子、浅野温子)など、多数の女優の髪形の主流を占めた。

 

さて、第1問恒例の自由の女神に関するクイズは…。

 

ニューヨークの自由の女神像STATUE OF LIBERTYがアメリカ合衆国の高価に描かれたのは1986年100周年記念の時が初めてである。○か×か?

 

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ちなみに答えは○でした。

 

この頃はフィリップに書かれたも字も綺麗で、TV画面に映る文字もPCで書かれた物のようで非常に綺麗でした。以前は明らかに手書きだったり、オリジナルのフォント(?)を使用していました。この辺りにも90年代の技術の進化を感じます。

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第1問目を出出した福澤さんを見ても、東京ドームに現れた福澤さんを見ても、やはりこれまでの福留さんとは違いました。28歳と若いことから、動きとテンションを前面に出し、走っての東京ドームへの登場。どちらが良いと言うつもりはありませんが、静の福留さん、動の福澤さんといった感じです。ただ、テンションや動きに頼りすぎかなと少し感じます。28歳なので老練な福留さんと比べるのは酷なのですが…。

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福留さんは意地悪なようで意地悪ではない、それでいて素人挑戦者ががちょっと返答に詰まって考えてしまうような、絶妙のラインを突いた、素人の素を引き出すテクニックがあったように思います。あくまで自分の話術と笑顔で素人の素や魅力を引き出していました。しかし、残念ながら福澤さんは自分をグイグイ押すことが多く、素人の魅力を引き出そうとの気配りはあまりなかったように感じます。

 

ちなみに、これは冷静に福澤さんと福留さんと何が違うのだろうか。今大会が失敗した原因はなんだったのだろうかと考えているので、本気で怒ったり不満を述べているわけではないのでご理解ください。比較して分析するのもまた楽しいのです。

 

この第1問目の場外イベント場では、当時人気があった天気予報士の福井敏雄さんが、過去の正解と天気図を比較し、今年の天気図の場合の答えは○だと、ウルトラクイズ恒例の場外での参考にならないアドバイスをしていました。

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福井 敏雄(ふくい としお、1921年(大正10年)3月11日 - 2005年(平成17年)4月27日)は、日本の気象解説者・タレント。

 

最初のMCでは、毎回歴代優勝者が車に乗って登場して紹介されるのですが、今回は前回優勝の能勢さんだけでした。また、その脇にはいかにもバブルの頃にいたようなレースクイーン風の2人もいて時代を感じさせました。ちなみに、能勢さんは第1問目で敗退です。

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また、この場にはタレントのラサール石井さんもおり、挑戦者の1人としてウルトラクイズに挑戦していました。結果は第1問目で敗退です。

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そして、12回連続1問目で敗退している蓑原弘豊さんは、なんと今回初めて1問目を突破。12年越しの悲願が達成されました。

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今回は東京ドームでの敗者復活戦がなく、きっちり100名の通過者を選ぶとのことで、本当に敗者復活戦はありませんでした。また、敗者の味方は徳光さんではなく、コント赤信号の渡辺正行さんでした。しかし、この場では敗者復活戦は行われなかったため、敗者の味方が輝くシーンは見られず、この辺りもこれまでと違うウルトラクイズといった感じでした。

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しかし、この頃のファッションや髪型はさすがに90年代に入っているだけに記憶に新しく、「こんなだったよなあ」と郷愁に駆られました。女性はW浅野よろしくワンレン。男性は吉田栄作のようなさらさらの髪に真ん中分け、オマケに2ブロック。流行廃りは今でもあることなのですが、この頃は流行ったら皆右に倣え感が今よりも強かったように思います。情報を受け取る機会がほぼTVか本のみなのでこうなったのでしょう。今だと色々な方向から情報が入ってくるので、髪型もファッションも多様化するのですが、この頃は皆同じような髪型や格好をしていました。

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1980年代中盤以前だと記憶にもあまりないので、当時のことを実体験で語ったり、今との比較を詳しくはできないのですが、さすがにこの頃になるとハッキリ記憶があるので色々と思い出します。

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正直、今週はクイズ的に盛り上がる週ではないので、当時の風俗(衣食住や行事の意味での風俗です)を見て懐かしく思ってしまいました。

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第二次予選「ジャンケン/成田空港」(100人→50人)
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福澤さんに司会が変わっても、第一次予選の○×クイズ、第二次予選の成田空港でのジャンケンは変わりません。福澤さんの高いテンションで始まった成田空港ですが、今回は恒例のジャンケンをやめようとのコントが無いのかと思いきや、渡辺リーダーが登場して恒例のコントをやっていました。しかし、なんというか軽くて熱もこもっておらず、正直拍子抜けしました。

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福留さんと徳光さんのコントの場合、完璧な台本と完璧な演者による完璧なパッケージになっていました。しかし、今回は空回り感がありました。自然体とも言えますが、渡辺リーダーは力の抜けたトークでしたし、フリップを読み間違えていました。この辺りはお笑い芸人とアナウンサーの仕事に対する姿勢の違いでしょうか。決してお笑い芸人を貶しているわけではありません。人を笑わせる芸人と、目の前にある原稿を完璧に読むアナウンサーの職種の違いということです。

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芸人の場合、失敗してもおどけて笑わせれば良いので、台本通り完璧にしなくても良いのでしょう。自然体に力を抜いてやった方が良いのでしょう。しかし、やはりわざとらしいくらい力の入った、セリフ口調の福留さんと徳光さんの成田ジャンケンコントは、ウルトラクイズのとても良いお約束の1つでした。

 

ここで気付いたのは、随分素人の挑戦者がTV慣れしているなということ。前回ファミ劇で見たのが1983年の第8回で、今回が1992年の第16回なので、9年の開きを1週分で見ているからかもしれませんが、それだけに1983年と1992年の素人のノリの違いが手に取るようにわかりました。

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1983年の素人はまだTVと距離を置いていて、明らかに固く緊張している様子がありました。これはいつまでだったか…。10回や11回、12回になってもそうだったと記憶しています。しかし、1992年の素人は、TVカメラの前で平気でおどけますし、言ったら寒くなるかもと分かるような言動さえ躊躇せずにやっていました。この辺りはバブルで一気に変わったのでしょうか。時期的に見て、このあたりで素人のノリが急に変わった気がします。これを制御するのも編集するのも、福澤さんおよびスタッフは大変だったろうと思います。

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肝心のジャンケンはいつも通りの物なのですが、嘘か誠か謎のデータが渡辺リーダーから提出され、その条件に当て嵌まりそうなときには、挑戦者に提示して「どうするの?」と揺さぶりを掛けていました。ちなみに、どのようなデータかというと下記の通りです。

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  1. 女性の7割は、最初にパーを出す。
  2. 2対2になったあと、6割の人がグーで勝つ。
  3. 3連敗する人の8割は、最後にパーを出す。
  4. チャンピオンの8割は、1敗したあと3連勝している。
  5. 愛知県の人は、総じてチョキに弱い。

 

また、ここでは一発勝負も行われており、福澤さんが3回勝負では無く1回勝負したい人を募り行っていました。

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第二次予選敗者復活戦「心の優しい方/成田空港」(50人→5人)
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敗者復活戦は、珍しくクイズやその場でなにかするのではなく、敗者が渡辺リーダーをピコピコハンマーで叩く際、最も優しく叩いてくれた人5人復活とのもの。渡辺リーダーのヘルメットには衝撃度をキログラムで表す装置が付いており、敗者全員が渡辺リーダーの頭を叩くのですが、そこでこの数値が低い人から5人の敗者復活となりました。

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優しい人とは言っていますが当然ながら女性有利です。案の定女性から3人復活していました。中には男性でも大西さんのように本当に優しく叩く人もいて、ここはもう運としか言い様がありません。TV的には強く叩いた方が面白いからと、違う意味で優しさを発揮して強く叩いた人もいたでしょう。私は多分後者です。変に敏感に空気を読むので、相手が求めていること…、つまりTVが求めているのは面白さだろうなと思い、あとで謝りますが強く叩いていると思います。

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ここでは1983年の第8回に比べ、コンピュータが格段に進化している様子が窺えます。何キロで渡辺リーダーが叩かれたのかのデータが、目の前のモニタに綺麗に出力されました。

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この出発の日時は、8月31日の月曜日で午前10時とのこと。学生は基本的に夏休みはここで終わりですし、社会人は言わずもがな。

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第1チェックポイント「機内400問ペーパークイズ/東京→グァム」(55人→40人)
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予選という名称と変わり、初めてチェックポイントと付く機内ペーパーテスト。ここからが本当の意味でクイズ番組の始まりです。言ってみればこれまではお祭りでした。

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問題数と時間を考えると、6秒で1問を回答せねばならず、じっくり考えている暇などありません。ちなみに、この先は知力、体力、時の運とはいっても、クイズ知識の比重が大きいので、機内ペーパーテスト上位者は、そのまま優勝候補となります。

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今回は台風をグァムが直撃していたため、空港は物資の搬入、搬出などで慌ただしく飛行機が飛び交っているとのこと。また、離陸できない飛行機も空港で渋滞を起こしていたため、のんきにブーブーゲートをやっている時間的余裕も場所もありませんでした。今回は史上初めて全員がグァムの地に一旦降り立っていました。ただ、挑戦者のその後の談話を見ると、手続きの問題で一旦飛行機は全員降りていたようなので、あくまで番組的には…です。

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飛行場でブーブーゲートをできなかったのですが、15名落とさなければならないことに変わりはなく、どこかで合否の発表を行わなければなりません。場所的にも画的にも地味になってしまったのですが、ホテル前でバスを降りるときにブーブーゲートを行っていました。正確にはスペースの問題でゲート(門)は設置できないため、足場だけの設置です。

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第2チェックポイント「空席待ち早押しクイズ/グァム」(40人→24人)
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前述したように、今回はちょうどグァムに台風が直撃してしまったため、ウルトラクイズの象徴的クイズの1つである泥んこ○×クイズが慣行できませんでした。泥んこ○×があってこそのウルトラクイズであり、不正解イコール罰ゲーム(泥んこになる)という、ビジュアル的に実に分かりやすく、そして効率的なクイズだったのいで、今回はできなくて残念です。

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早くも第2チェックポイントで早押しクイズを行うことになりました。

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ルールは下記の通りです。

 

  • 回答席は(列)は3つ
  • 1度決めた列は変更できない
  • お手つき、誤答はその人のみ最後尾に並び直し
  • 正解、3人揃ってのキャンセルは全員最後尾に並び直し

 

このようなルールなので、優秀な人が多い列ほど、その列は並ぶ人数が減っていくため、自分に順番が回ってくる確率が高くなります。逆に、答えられない人が多い列だと、列の人数がいつまでたっても減らないので、なかなか順番が回ってきません。1度決めた列は変えられないので、どの列を選ぶかは人を見る目や運になります。

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ここでは一気に16人が落ちることになりました。これで次回からはそれぞれのキャラクターにスポットがより当たることになります。

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罰ゲーム:台風によって荒らされたビーチの清掃作業
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前述したように、泥んこになる罰ゲームを行うことができなかったため、急遽用意した罰ゲームは『ビーチの清掃作業』でした。非常に温いです。ハッキリ言って面白くないです。ただ、今回は条件が悪すぎました。

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ウルトラクイズのスタッフは、ブログで回顧録を書いていますが、罰ゲームのリハーサルをやり、スタッフができない事は挑戦者にさせないとの鉄則があったそうです。つまり、急遽罰ゲームをするとなると、どこまでの罰ゲームが安全なのか、どこまでやって良いのか、なんの目処も立たなくなってしまうのです。

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90年代に入ってからは、70年代、80年代のように、無茶をやれる時代ではなくなっていたように思います。それでも今に比べれば無茶なこともできたのですが、それでもどんどん倫理や法律が厳しくなっていた時代と認識しています。この状況で面白く、ギリギリ素人にさせてよい、それでいて罰ゲームになる。こんな条件のアイディアをすぐ出せと言われたところで無理ですし、道具もないので用意しようがありません。この台風直撃の不運はスタッフに同情します。

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ちなみに、台風直撃で泥んこ○×クイズが変更されたのは大会史上2回のみです。ただ、そのもう1回の第14回は、形式的には泥んこ○×クイズの体を成していたので、本当に泥んこ○×クイズが行われなかったのは、大会史上この第16回のみとなります。

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総評

福澤さん司会のウルトラクイズは、前回大会の第15回でも途中からそうだったのですが、全編福澤さんのウルトラクイズは大会史上この第16回のみです。久々に見ることもあり、福澤さんと福留さんの違いを中心に見てきましたが、一番の大きな違いは、福澤さんはテンションや動きに頼ることだったと思います。

 

福留さんはほとんど動きがなく、話術と笑顔であらゆるコントロールをし、挑戦者の素と魅力を引き出していました。簡単にいえば挑戦者が主役でした。しかし、福澤さんはキャラ的にもそうですが、能力的にも経験的にも、素人の魅力を引き出す老練さはなく、常に自分が主役となってしまっていたように思います。敢えて福澤さんのウルトラクイズが失敗した理由を挙げるとすると、主役を挑戦者ではなく自分にしてしまったことかなと思います。

 

とは言っても、やはり大人になって見てみると、福留さんのウルトラクイズを入社5年目の28歳が継ぐのは無茶だよなあとの印象を強く受けます。前任者が偉大すぎました。

 

ではまた来週。

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